初場所の余韻…

こんにちは。船橋店の中山です。

先日、アンディ先生がお客様からいただいたといって
相撲の番付け表を持って帰ってきました。
それを見ながら、学生時代働いたアルバイトのことを思い出しました。

  ―  それは両国国技館。初場所でした。
           その当時、高円寺の4帖半の風呂なしアパートに住んでいた私は、
           ちょうど冬休みということもあり、
          何かアルバイトをしようと思って雑誌を見ながら探していました。
           近所に下宿していた友人も一緒にやることになり、
         そして面接に行き、すぐ決定。私は焼き鳥部に行きたかったのですが
         あんみつ部に決まり、友人が甘栗部でした。

             ベテランのおばちゃんとおじちゃんに混じって
             観覧するお客様用のお土産をひたすら運び、詰めていく作業です。
             初日から3日間、背筋が筋肉痛になり、笑うと息がしづらいくらい、
             以外とハードな肉体労働でした。

            千代の富士全盛の時で、毎日夕方5時を過ぎると、
             ふらっとそのまま立ち見の状態で観戦していました。
           昼食休みの1時間は、食事をすると、
           ちょうど髷も結っていない、これからという人たちが
           相撲をとっていて、またそれを観戦するのも楽しみでした。
           その時、曙や若花田・貴花田がいたのを鮮明に覚えています。

           また、大雪が降って電車が動かなくなった時があり、
            「明日もわかんねえから、泊まってけっ!」とおばちゃん達に言われ
           おじちゃんにそのまま大浴場に連れていかれ、
           大広間で一緒に寝ることになるなど、
             今になって思えばいい経験だったと思います。

 などと昔を思い出しながら番付け表に目をやると、
外国人の数の多さに、「相撲」から「スモウ」になっていく寂しさと
国技としての危うさを感じざる負えないそんな気がしました。
やはり、同じ日本人として、何とか国技としての復活と
新しい相撲道を形成してほしい、相撲ファンの一人として、願っています。


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