新人時代

こんにちは、船橋店の湯浅です。

今から約20年前、私は社会人デビューしました。

勤めたのは大阪に本社がある中堅アルミサッシメーカーで、全体研修後そこの東京支店業務

グループに配属されました。

当時の業務グループはH課長と先輩女子社員のKさんと私の三人。

H課長は人事も兼任されていて私の面接~入社まで全てに関わって頂きました。東京支店に

配属されるまでのH課長に対する私の印象は面倒見がよく、やさしい方。

業務グループの仕事のメインは経理で私が入社した年の夏に上場を控えていた為

その準備が最初に私に与えられた仕事でした。

実際にグループの一員として仕事を開始して一番に驚いたのは、私が勝手にやさしい方と思っ

ていたH課長の本当の姿。

めちゃくちゃ厳しい厳しい方で完全にスパルタです。一度教えて頂いた事をもう一度

聞こうものなら『教えたやろ  』 間違えれば『何しとんのや  』 

こういった言葉がすべて『関西弁』で私の身に毎日降り注がれます。

正直、何でここまで怒鳴られなければいけないんだろ~と思い。辞めたいなと考える事もあり

ましたが、同じ支店にいた営業や設計の先輩方・大阪本社の経理の方からも励ましも

あり、怒鳴られながらも必死に働き覚えました。

そんなある日、同じグループのKさんから「実は、私は7月で退職で 、H課長は9月で会
社が変わります 」との話しを聞かされました。

Kさんの退職にも驚かされましたが、H課長の会社が変わるの意味が理解できなくて

確認すると、元々出向で私達の会社に来ていて9月に戻る事は前から決まっていたそうです。

その瞬間、だからか~とこれまでH課長の厳しさが分かりました。

私がそれを知ったのが6月に入っていましたので、とにかく時間がありません。

新しい上司はまだ探している途中らしく、とにかく私が仕事を覚えるしかないのです。

それからも毎日、怒鳴られながらも必死には働き覚えH課長は9月に元の会社に戻って

行かれました。

この当時、私の中では自分が仕事を覚えないと大阪本社の経理部など関連部署や東京支店

のみなさんに迷惑がかる。それは出来ないの一つでした。

実際、夜中まで私を待っていて大阪から電話でアドバイスをくれたり、支店の先輩方が飲みに

連れて行ってくれたりと回りの皆さんが支えてくれたから一人で業務グループの引き継ぎをす

る事が出来ました。

この新人時代の経験は私の中では大きなポイントです。

 

 




 

 



 

 

 

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