以下、週間ダイヤモンドの記事からの抜粋。
宮大工棟梁 小川三夫は18歳で法隆寺宮大工棟梁・西岡常一
の門をたたき、3年後の21歳で入門を許される。
法隆寺の用材は一つとして同じものがない。
のこぎりさえなかった時代、くさびを打ち込んで
大木を割り、削り、刻む。曲がった木もあれば、
ねじれた木もある。その癖を読み、重心を見抜き、
くみ上げていく。現代の構造計算では建っている
はずがない堂塔群は、「手の記憶」で受け継がれて
きた技と鋭敏な感覚の上に成り立っている。
西岡は一度だけかんなをかけて見せ、
「こういうかんなくずを出せ」と言った。
教わったのはそれだけである。そのかんなくずを宝物
のように部屋に飾り、黙々と修行した。
西岡の一挙手一投足から技を盗み、なにより
「小刀一本で建てる気迫」を学んだ。
小川も弟子には何も教えない。
失敗すらとがめない。「手の記憶は、
自分自身で刻むもの」
職人の信念は巨木のごとく、揺るぎない。
今の時代には通用しない教育です。
がしかし、自分の一生の仕事として取り組む
姿勢。貪欲なまでの観察力、鍛錬。
56歳にして、まだまだです。道半ばどころか
三分の一にも達していません。これから
多くの課題があると言う事は、ある意味
幸せなのかもしれません。