エコに想う

こんにちは。市川支店の中山です。
今日は、いい天気。自宅カフェのリフォームも今日で完了しました。
大工さんと最後の仕上げを済ませると、
造作したカウンターで淹れたてのコーヒーをご馳走になりました。
「あ~、今日はここでゆっくり寛ぎたいね~」と施主様、大工さんと談笑。
その時、次の約束の時間が迫っていることに気づき、
ゆっくりと飲みかけていたコーヒーを一気に飲み干し、急いで車を走らせました。

その時、車中で流していたラジオを聴いていたら、不自然な内容だったので
それが妙に引っ掛かり、ボリュームを上げて聴いていました。
“DIYをする→「エコですから」”、“自転車に乗る→「エコですから」”、
“料理をする→「エコですから」”…何かにつけて、「エコですから」と、乱発して使っていました。

文明の進化ともに招いたもの、それは自然破壊、地球温暖化、大気汚染、CO2問題…
「エコ」とは対局の人間の「エゴ」そのものではないでしょうか。
「エゴ」と濁点をつける言葉とおり、濁った地球をクリーンな「エコ」にするには
人間のための地球という驕りを捨てて、自然との共生をいかに考えていくかが不可欠だと思います。
そう考えると、「エコ」という言葉がそう易々と、意味を履き違えて使われていいのだろうかと
そんな疑問がふつふつと湧いてきた数分間でした。

考えすぎでしょうか?厄年ですが…それが何か?


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